2018年10月12〜14日に九州大学大橋キャンパスで開催された「2018年度日本デザイン学会秋季企画大会」で、2件の発表をしました。
1つ目は、10月13日のライトニングトーク発表です。
杉本達應「『仮想書棚』の試み」
2つ目は、10月14日の第5支部研究発表会の口頭発表です。
杉本達應「データ可視化の制作プロセスの共有を支援するツールの検討:『データ駆動型デザイン』を学習する技術的環境」
2018年10月12〜14日に九州大学大橋キャンパスで開催された「2018年度日本デザイン学会秋季企画大会」で、2件の発表をしました。
1つ目は、10月13日のライトニングトーク発表です。
杉本達應「『仮想書棚』の試み」
2つ目は、10月14日の第5支部研究発表会の口頭発表です。
杉本達應「データ可視化の制作プロセスの共有を支援するツールの検討:『データ駆動型デザイン』を学習する技術的環境」
2018年9月16日、福岡県Ruby・コンテンツ産業振興センターで「DxD at Fukuoka データビジュアライゼーションを語る会」を開催しました。共催の「ももち浜TECHカフェ」さんに博多駅至近の会場をご提供いただきました。
開催概要
2018-09-16 「DxD at Fukuoka データビジュアライゼーションを語る会」を開催します – lab.sugimototatsuo.com
多様な領域からご参加いただき、ありがとうございました。昨年から主宰しているDxD研究会をはじめて公開しました。データビジュアライゼーション領域で活動されている山辺さん、矢崎さんをお招きして、それぞれの実践事例など話題提供いただきました。当日は時間が足りず、参加者をまじえた十分なディスカッションができなかったことを反省しています。またデータビジュアライゼーションをテーマのイベントが開催できればと思っています。
(写真:牛島清豪さん、矢崎裕一さん、杉本達應)
当日の発表資料を置いておきます。
データビジュアライゼーションの制作方法を学ぶ
杉本達應
アート+サイエンス、ビジュアライゼーションの現在―産学官連携と実践
山辺真幸さん
参加者限定で共有しました。
見えないものを見ようとして望遠鏡を覗き込んだ
矢崎裕一さん
こちらのリンクをご覧ください。
VVRRR – Manolo April, 2018
Why Love Generative Art?
2018-08-26 / Jason Bailey
Translated by Tatsuo Sugimoto
訳者より
これは、Jason Bailey (2018), Why Love Generative Art? の全文を日本語に訳したものです(原著者許諾済み)。このエッセイは、著者も断っている通り、ジェネラティブ・アートの網羅的な歴史ではありませんが、ファインアートとの関係、女性アーティスト、Processing、Flash、AIといった多くのトピックを扱っていて、この分野の歴史を手軽に把握することができます。興味をもたれた方は、リンク先の各作家の情報や、元記事のコメント、Hacker Newsのコメントもチェックしてみてください。日本語訳では、目次と一部のリンクを補いました。誤訳の指摘は、@sugi2000までお寄せください。
この50年間、世界は急速にデジタル化しました。ジェネラティブ・アートほど、この変化の時代──私たちの時代──をとらえたアートの形式はありません。ジェネラティブ・アートは、コンピュータがもたらしたものをすべて活用し、エレガントで引き込まれる作品を生みだしています。これらの作品は、モダンアートの誕生以来アーティストが追究している同じ原則とゴールとを拡張しているのです。
幾何学的、抽象化、偶然性は、ジェネラティブ・アートに限らず、20世紀のあらゆるアートにとって主要なテーマです。美術史家でジェネラティブ・アートのアマチュアとして、私にはジェネラティブ・アートへの影響に明確な線が見てとれます。その線は、セザンヌからスタートし、以下にあげるものをまっすぐ通り抜けています。
Group IV, No. 3. The Ten Largest, Youth – Hilma af Klint, 1907
Suprematist Composition – Kasimir Malevich, 1916
Circles in a Circle – Wassily Kandinsky, 1923
Highway and Byways – Paul Klee, 1928
Rotorelief 1 (Optical Disks) – Marcel Duchamp, 1935
Concentric Squares – Josef Albers, 1941
Study for Meschers – Ellsworth Kelley, 1951
Red Meander – Annie Albers, 1954
Burn – Bridget Riley, 1964
Wall Drawing 11 – Sol Lewitt, 1969
わたしの目には、これらの影響はすべて初期のジェネラティブ・アートから現代の実践者へとダイレクトにつながっているように見えます。そのため、アート好きの友人の多くが、ジェネラティブ・アートを無関係なものや関心の対象外にしたり、アートと呼ぶに値しないものとまで断じていたりしていると戸惑ってしまいます。
あらゆる世代が、自分たちの時代にはなぜミケランジェロもピカソもいないのかと問いながら、アートは死んだと主張します。ところがその孫の時代になってから、ようやくその時代に天才がいたことが見出されます。私たちには、自分たちの世代に生きている(制作もしている)偉大なアーティストを受け止められる特別なチャンスがあるのです。この記事で、私はこの事実を訴えたいとおもっています。ここでは、人びとがしばしばジェネラティブ・アートと格闘する理由と、以下のことがらを探求していきます。
このテキストを読み終えたとき、ジェネラティブ・アートに対する私の愛に共感してもらうか、少なくともこのジャンルが好みでないことを冷静に話し合えるようになることを願っています。
Path – Casey Reas, 2001
シンプルすぎますが簡便なジェネラティブ・アートの定義は次の通りです。ジェネラティブ・アートとは、コンピュータを使い、創造のプロセスの一部に意図的に偶然性を取り入れたプログラムで作られたアートのことである。この定義は、2つの間違った見方をよくされ、ジェネラティブ・アートの美やニュアンスを認めることを遠ざけてしまいます。
よくある誤解・その1
アーティストは完全に制御していて、プログラムは常に書かれた通りに実行されるだけである。それゆえジェネラティブ・アートは、たとえ人間的で親しみやすいものだったとしても、アートが偉大になる要素である偶然性、偶発性、発見性、自発性を欠いている。
よくある誤解・その2
アーティストはまったく制御することなく、自律的なマシンがランダムにデザインを生成しているだけである。コンピュータがアートを作っていて、人間は制作者には値しない。本当のアートとはいえないのだから。
現実のジェネラティブ・アーティストは、作品に導入する偶然性の大きさや位置を周到にコントロールしています。
コントロールされた偶然性とは矛盾しているようにきこえるかもしれません。しかしアーティストや美術史家であれば、アーティストはつねに創造性を刺激するために作品に偶然性をとりいれる方法を模索してきたことを知っています。ジェネラティブ・アートにおいてコーディングするプロセスを思考することは、絵を描くことやスケッチすることとまったく同じことなのです。じっさい、多くのジェネラティブ・アーティストが好んで使うツールでは、制作される個々の作品のことを「スケッチ」と呼んでいます。
初期のジェネラティブ・アート作品を見ていきましょう。
ゲオルク・ネース(Georg Nees)の1968年の作品《Schotter》(砂利)は、最初期の最もよく知られているジェネラティブ・アートです。《Schotter》は、12個の正方形が規則的に並ぶ列からはじまり、下の列へと向かうにつれて、徐々に正方形の向きと位置が不規則に変わっていきます。
Schotter (Gravel) – Georg Nees ,1968
ちょっと想像してみてください。上の図を紙にペンで書くと、完成させるのに1時間はかかるでしょう。もし正方形の数を10倍にしたかったら、ゆうに10時間はかかりますよね。ジェネラティブ・アートのとても素敵で重要な特性がここにあります。Georg Neesは、コードをほんのすこし編集するだけで、正方形を何千個も増やすことができたのです。
複雑さや規模を大きくしようとすると、飛躍的に労力や時間が増えてしまうアナログ・アートと違い、コンピュータは疲れることなくほぼ永遠にプロセスを繰り返すことができます。これから見ていくように、複雑なイメージを生成できるコンピュータの使い勝手のよさが、ジェネラティブ・アートの美学に大きく貢献しています。
多くのイノベーションと同じく、ジェネラティブ・アートにおいても草創期の数年間にその可能性を追究した先駆者がいました。フリーダー・ナーケ(Frieder Nake)とマイケル・ノル(Michael Noll)は、Georg Neesとともに、アートを生み出すコンピュータの使用を模索しました。当時のコンピュータにはモニターがなく、作品はプロッタで印刷されて共有されました。プロッタとは、ベクター・グラフィックス用に設計された大型プリンタのことです。
Hommage à Paul Klee – Frieder Nake, 1965
60年代や70年代は、だれもがジェネラティブ・アーティストになれる時代ではありませんでした。部屋をおおいつくす初期のコンピュータへのアクセスは極度に制限されていたからです。今日、ほとんどの人々は家庭でコンピュータとともに育ち、いまではポケットに入れて持ち歩いています。しかしコンピュータが誕生して数十年間は、大多数の人々がコンピュータに触れたことがなく、SFの世界でしか見たことがありませんでした。こうした背景があり、職場で女性たちが大きな性別差別を受けていた時代にありながら、多くの女性のジェネラティブ・アーティストが生まれ、技術やコミュニティに重要な貢献を果たしました。
ヴェラ・モルナール(Vera Molnár)は、多才なジェネラティブ・アーティストの(個人的に大好きな)一人で、何十年間も制作しつづけています。以下は、60年代、70年代、80年代のMolnárの作品です。
Interruptions – Vera Molnár, 1968/69
(Dés)Ordres – Vera Molnár, 1974
Untitled – Vera Molnár, 1985
コンピュータが一般的に冷たく論理的なマシンと認識されていることを意識しつつ、Molnárはアーティストとして、コンピュータが創造性と人間性をもたらしてくれると語っています。
コンピュータの助けを借りなければ、これまでアーティストの頭の中にしか存在していなかったイメージを忠実に具現化することは不可能だったでしょう。逆説的に感じるかもしれませんが、冷たく非人間的だと考えられているマシンこそが、人間にとって最も主観的でたどり着きにくい深遠なものを形にするのに役立つのです。
ジェネラティブ・アーティストで研究者のリリアン・シュワルツ(Lillian Schwartz)は、1968年から34年以上にわたってベル研究所のアーティスト・イン・レジデンスをつとめました。彼女の功績は感動的です。彼女は、MoMAが買い上げたはじめてのジェネラティブ・アートの作家としてよく名前があがります。彼女の協力者ケン・ノウルトン(Ken Knowlton)とともに、ファインアートとしてデジタル・アニメーション作品がはじめて展示されたのです。1982年、ロサンゼルス・タイムズのインタビューで、Lillianは作品制作にコンピュータを導入したときの、アート界の友人から受けた冷ややかな反応を述懐しています。
この分野に携わる前はアート界で評価を得ていましたが、コンピュータを使い始めるとアーティスト仲間からのまなざしが売春婦を見るような目つきに変わりました。自作の美について議論できるアート界隈の集まりを見つけることができませんでした。アーティストの友人ではなくコンピュータ科学者の友人とつきあわざるをえなかったのです。
ジェネラティブな作品とは別に、Lilianは、美術史(私の人生の情熱)の分析においてコンピュータ・データベースの使用を切りひらいたことで、私のなかのヒーローの一人です。1984年、彼女はコンピュータを使って、ダ・ヴィンチ自身がモナリザのモデルだったことを証明し、世界に衝撃をあたえました。
Pixillation, photographic film stills – Lillian Schwartz, 1970
ジェネラティブ・アートの草創期には、ほかにも重要な女性ジェネラティブ・アーティストがいました。彼女たちはこのジャンルを広めるために大きな貢献をしています。ソニア・ランディー・シェリダン(Sonia Landy Sheridan)は、1970年、シカゴ美術館で初のジェネラティブ・システム部門を創設しました。グレイス・ハートライン(Grace Hertlein)は、1974年に「Computers and Automation Magazine」誌のアート・エディターになったときに、初のジェネラティブ・アート・コンペを世に広めました。
MIT summer sessions poster – Muriel Cooper, 1958
プログラマーであることは知られていませんが、ミュリエル・クーパー(Muriel Cooper)はコンピューティング革命の美学を確立するのに誰よりも大きな影響をもっていました。Cooperはバウハウスのデザイン原則を習得していて、彼女の友人であり偉大なデザイナー、ポール・ランド(Paul Rand)の影響を受けています。CooperはMIT Pressで長年ディレクターを務め、MITにこの原則を浸透させました。その後、彼女は1975年にMITのVisual Language Workshop(VLW)を創設し、1985年にMITメディアラボとなる「起源の一つ」でした。これから見ていくように、メディアラボは、ほかのどの機関よりもジェネラティブ・アートの展開に重要な存在になります。
世界の変化に直面しデザインを再定義する必要があると見出したビジョナリー、Cooperは次のように信じていました。
機械社会から情報社会への移行には、新たなコミュニケーションプロセス、新たな視覚的言語やことば、教育、実践、生産の新たな関係を必要とする。
AI Infinity – John Maeda, 1994
多くの人が、ジョン・マエダ(John Maeda)のことをロードアイランドデザイン大学の元学長、あるいは『シンプリシティの法則』の著者として知っているでしょう。しかしマエダがMITで工学を学んでいたとき、Murial Cooperの作品やVLWのとりこになったことは知られていないかもしれません。MITで工学部を卒業し修士課程を修了したのち、マエダは日本の筑波大学大学院芸術学研究科でデザインの博士号を取得しました。
Florada – John Maeda, 1990s
MITに帰ってきたマエダは、メディアラボにAesthetics and Computation Group (ACG)を作りました。グループとしてのACGは、Murial CooperのVLWグループが制作した先行作品に強く影響を受けています。マエダは、著名な美術館で作品が展示されるすぐれたジェネラティブ・アーティストでありながら、ジェネラティブ・アートに多大に貢献しました。アーティストやデザイナー向けにプログラミングを探求するプラットフォーム「Design By Numbers」を開発したのです。
90年の後半マエダは、有能で同じ志をもつアーティストや技術者をメディアラボに採用し、「Design by Numbers」の仕事を補佐してもらいました。そのなかに、ベン・フライ(Ben Fry)やケイシー・リース(Casey Reas)がいました。FryとReasは、マエダの「Design by Numbers」を世界中の教室に取り入れ、さらに自分たちで独自のプラットフォームを開発し、大学の外にも共有でき、コードでスケッチすることを学びたい人がだれでも学べるようにしたのです。2人は、このプラットフォームを「Processing」と名づけました。
Processingは、コンピュータをもつ世界中の人々にジェネラティブ・アートの扉を開きました。もう高価な機器は必要なく、何よりスケッチをプログラムしてアートを制作するのにコンピュータ科学者になる必要がなくなったのです。Processingの言語、環境、コミュニティはどれも、はじめからできるだけ多くの人々が使えるように注意深く作られています。
Processingは、ジェネラティブ・アートの制作と普及において決定的な転換点です。Processingの隆盛は、下のグラフにはっきりとあらわれています。
2005年から2018年前半にかけて、月毎にユニークなコンピュータでProcessingソフトウェアが開かれた回数。このグラフは、FryとReasによるProcessingの歴史についてのすばらしい記事「現代のプロメテウス」で発表されました。グラフの波は大学の学期と連動していて、新学期の秋に高まり夏休みのあいだは落ち着きます。このデータは、共有利用のコンピュータとソフトウェア設定でレポート機能をオフにしている場合は集計していません。
FryとReasはこれまで17年間にわたりProcessingの開発にあたり、著名なジェネラティブ・アーティストに愛用されるプラットフォームでありつづけました。2002年、2人は「より幅広い人々に届け、ソフトウェア開発を支援するため」にProcessing Foundationを設立します。ダニエル・シフマン(Daniel Shiffman)とローレン・マッカーシー(Lauren McCarthy)が創立メンバーに迎え入れられました。彼らは、Processingの歴史の進化を詳しく説明したすばらしい記事を書いています。この記事はぜひ読んでほしいです。Processingが全世代のアーティストとプログラマーにあたえた影響は、どんなに強調してもしすぎることはありません。データ・ビジュアライゼーション、ポップ・カルチャー、ジェネラティブ・アート作品を変革したのですから。
All Streets – Ben Fry, 2006
伝統的な絵画技法を身につけたアーティストとして、私はデジタル・アートをなかなか認められずにいました。2000年代初頭、生活のためにしぶしぶコンピュータを使って仕事をしていました。そんな私にとって長いあいだ、ジェネラティブ・アートとはとんがり過ぎ、ニュアンスに欠け、全般的にアナログ・アートより劣っているというのが個人的な見解でした。その後、2006年あたりにProcessingとジャリッド・ターベル(Jared Tarbell)の作品を発見してからは、すべての評価が一変しました。
Jared Tarbellが作るものは、今でももっとも先鋭的で、美的に心地よいと感じます。2003年にはProcessingの比較的初期のバージョンを使い、ジェネラティブ・アートに取り組んでいます。Tarbellは、ニューメキシコ州立大学でコンピュータ・サイエンスを学んだ後に、ひろく人気を博しているハンドメイド品サイトEstyを共同で設立しました。彼は自分のことを「一部はマジカル・ミステリー・ツアー(ジョン・レノンとポール・マッカートニー)、一部はブランデンブルク協奏曲(バッハ)、一部はSomnium(ロバート・リッチ)」だと説明します。
Substrate – Jared Tarbell, 2003
私にとって、Tarbellの作品は完璧なジェネラティブ・アートです。作品はカオスとコントロールの二重性を典型的にあらわしていて、強烈なレベルにあるビジュアルな複雑性は単純性からゆっくりと生まれていて、アルゴリズムから出てきたというよりも土壌から成長したように感じられるように作りこまれています。
Intersection Aggregate – Jared Tarbell, 2004
Tarbellのコードから生まれた作品は脈を打っています。彼の作りだすデジタルな感触は、私の知るアナログ・アートと同じように有機的ですが、実際にはコードを通じてピクセルで構成されているのです。彼の作品は、私にとっては、コンピュータは最高水準のアートを作りだせるという信念を新たにさせてくれました。
Bubble Chamber – Jared Tarbell, 2003
Tarbellのプロセスの説明は、これまで議論してきたジェネラティブ・アートのコントロールされた偶然性というコンセプトを補強するものです。
プログラムを書くと、毎回同じように実行される。そこで創造主として、ランダムに発生するようなシステムを定義すると、自分のプログラムに驚かされるだろう。それは本当にすばらしいことだ。
Processing以前は、TarbellはMacromedia(現在はAdobe)Flashプラットフォームで制作するジェネラティブ・アーティスト集団の一人でした。彼のサイト、Levitated.netは、Flashのコーディング技法を深く理解しようとした世代のアーティストのための教材として役立っていました。今でもサイト上のオープンソースのコードにアクセスできます。
Jared Tarbellは、自身の作品に多大な影響を受けた作家の一人として、ジョシュア・デイヴィス(Joshua Davis)をあげています。1995年からDavisはプログラミングでアートを制作していました。彼は、Flashでジェネラティブ・アートを制作するアーティストのなかで、最初に名を知られた人です。
読者のみなさんはおそらくFlashを覚えているでしょう。2000年代初頭、Webにアニメーションとインタラクションを追加できるプラグイン、Flashをみなインストールしていました。デイビスはプラットに通い、はじめは絵画を、その後デザインを学びましたが、彼のスタイルはほぼ独学です。彼は、馬鹿騒ぎする生活から姿を現し、「山盛りのハードワーク」をこなしてFlashアーティストのムーブメントを先導しながら、印象的な作品制作をつづけています。彼は次のように説明します。
1998年頃に、はじめてドメインを買った。praystation.comっていうドメイン。興奮したね! ちょっとずつ腕をあげて、デザインを意識するようになった。自分が何をやってきたのかすら分からなかったけど、自分が何者で、何をやっているのかにちょっと気づいたんだ。その時だったよ、こう考えたのは。「俺はもうコンピュータ・アーティストなんだ! いつそうなったんだ?」。テクノロジーを使ってアートを作りたくて、ついに探し求めていた新しい表現方法を発見したんだ。
ps3-praystation-v1 – Joshua Davis, 2001
Shapeshifter|Sonic Architecture – Joshua Davis, 2001
ps3-praystation-v1 – Joshua Davis, 2001
デイヴィスのハードワークととんでもない気前の良さのミックスが、ジェネラティブ・アートにとって、他のアーティストのプラットフォームとしてFlashが普及する決定的なポイントでした。彼は、「オープンソース」として自分のコードを共有するようにした最初のジェネラティブ・アーティストの一人でした。おかげでだれもが彼から学びとることができたのです。
ものをあげるのが大好きなんだ。DIYカルチャーが教えてくれたことだからね。知識は自由だってこと。人間として、自分たちが知っていることを共有すれば、利益を上げて蓄えようとするよりも、ずっと多くの利益を得ることができると信じているんだ。
2001年、Davisの《Praystation》はArs Prize Technicaを受賞し、現在クーパー・ヒューイット博物館に収められています。
AI Generated Landscape #6 – Robbie Barrat, 2018
流体の有機的なイメージは、これまで見てきた幾何学的抽象から離脱していると感じられるかもしれませんが、AIアートもジェネラティブ・アートの一部分です。AIアートの最近の作品の多くは、GAN(敵対的生成ネットワーク)によって作られています。GANは、コンピュータ科学者のイアン・グッドフェロー(Ian Goodfellow)が発表したニューラル・ネットワークに基づいた概念です。難しそうに聞こえますが心配しないでください。少し簡単に説明します。
GANは、2つのニューラル・ネットワークで構成されています。これは人間の脳のように思考するよう設計された基本的なプログラムです。ここでは、2つのニューラル・ネットワークを2人の人物として考えます。1つ目の「生成ネットワーク」はアートの贋作作家として、2つ目の「識別ネットワーク」はアートの批評家としてです。ここでは、アートの贋作作家に、批評家の目を欺く贋作を作成するために、1,000点のピカソの絵が掲載された画集を訓練の材料として与えてみます。贋作作家がピカソの絵を3、4点しか見なかったら、精巧な贋作を作ることはほとんどできず、批評家はすぐに見破ってしまうでしょう。ところが十分な量の素材を見てから何度も試行すると、批評家をかんたんにだませる絵を実際に作りはじめるかもしれませんよね。
AIアートにおけるGANでも、これとまったく同じことが起きています。ロビー・バラット(Robbie Barrat)のようなアーティストは、数年間、こうしたイメージを生成するシステムの創造的な可能性を探求してきました。
Nude Portrait – Robbie Barrat, 2018
Barratは、ありがたいことに、2018年4月のインタビューで、このプロセス(とその中でのアーティストとしての自分の役割)を詳しく説明してくれました。
ところがGANを訓練した後、潜在空間と呼ばれるものが出現する。存在しうるすべての絵は、生成ネットワークに供給している高次元空間のなかに配置されている。この絵の配置はランダムではなく、しっかり理にかなっているんだ。だから以前の絵とよく似た絵が欲しければ、最初の絵と非常に近い点を選びとればできる。一方、次元のなかには実は配色を示しているようなものもある。よりカラフルにしたい世代があれば、次元の1つを調整すればできる。つまり、いくらかコントロールはできるが、実行後にしかできない。GANに特定の絵を描くようには伝えられないが、好きな絵を見つけたら、後からそれを調整することはできる。
やや技術的に感じられるかもしれませんが、アーティストが創作のプロセス全般にわたって相当のコントロールを握っていることは明らかです。実際そこには芸術性が取り込まれているのです。ぜひRobbie Barratのインタビュー全文を読んでみてください。彼は、AIアートを評価するためにGANの理解に必要な基礎情報をしっかり説明してくれました。
最新作では、Robbieはバレンシアガ(Balenciaga)のオンライン・ファッション・カタログの画像を収集し、AIモデルの訓練に使いました。GANは、まったく新しいファッションとスタイルを生み出しました。どれも、これまでの熟練のファッション・デザイナーからは出てこないものばかりです。Barratは、シンメトリーでなかったり、ポケットがランダムに配置されていたり、手持ちのタッセル(飾りふさ)のような役に立たない装飾品が付いているものをとくに気に入っています。
AI Fashion – Robbie Barrat, 2018
AI Fashion – Robbie Barrat, 2018
Barratは新しいAIの衣装をモデルにマッピングするために、DensePoseとPix2Pix技術を組み合わせて使用していると説明しました。DensePoseは人間のポーズを推定しようとし、「……人体の3D表面にRGB画像で人間全体のピクセルをマッピングしようとする」。簡単に説明すると、RobbieはBalenciagaのカタログの服を認識できるだけでなく、ファッション・モデルのポーズも認識できるようにAIを訓練しているため、AIが生成するファッション・モデルや姿勢に新しいファッションをマッピングしています。Barratは次のように説明します。
pix2pixはGANと同じですが、ノイズを取り込んでいるところが違います。生成ネットワークは1枚の画像を取り込み、別の画像を出力しようとします。識別ネットワークは両方の画像を見て、生成された画像かどうかを判定するのではなく、良いペアが作られているかどうかを判定するのです。
Example showing use of DensePose and Pix2Pix
最近のニュース記事の急増ぶりから、アートにおけるAIの使用が、多くの人々の興味を引く話題であることに間違いはありません。それとは別に、おそらく何よりも重要な疑問は、「そのアートそのものが本当に面白いのか?」ということです。Robbie Barratの作品は、私にとってそのハードルを越えた最初のものでした。AIアートにも、ミュージアムにある多くの偉大なアートに見られる時代を超える質の高さがあります。高水準なAIアートかどうかをテストするには、その作品がAI(ツールも魅力的ですが)で作られたことを知らずにいても、最終結果を評価できるかどうかでわかります。マリオ・クリンゲマン(Mario Klingemann)も、このテストをあっさりパスしたアーティストです。
2人のスタイルは全くユニークで異なりますが、Barratが自分のテクニックを刺激する人物としてよくKlingemannを推していることに驚きはありません。Barratは最近Twitterでこう言っています。
私のファッション作品で使っているDensePose + Pix2Pixメソッドの着想にあたっては、@quasimondoに負うところが大きい。彼の作品は要チェック。実際の肖像画を訓練データとして使用したプロセスから、実に魅力的な結果を引きだしている。
Barratの言う通りです。Klingemannの最近のPix2Pix/DensePose作品は、美的に新鮮で洗練されています。AIで生成された手っ取り早く作られたAI肖像画はそうではありません。Klingemannの作品は、美術史の修正主義者のようです。この作品は、古い絵画の不気味さをすべて煮詰めてデジタル・シュルレアリスムの傑作にしています。表面のほこりが匂ってくるかのようです。作品を見ていると、ボストン美術館の「アメリカのアート」展示室にある今はなき厳しさのなかにいる6歳の子どもになったように感じられます。古い絵画の軽蔑的な家父長的で厳格なまなざしは、Klingemannが取り入れたニューラル・ネットワークで異常と変形が溶けあって、より不気味さを増しています。
DensePose vs. Pix2Pix – Mario Klingemann, 2018
DensePose vs. Pix2Pix – Mario Klingemann, 2018
DensePose vs. Pix2Pix – Mario Klingemann, 2018
Klingemannは自分の作品が気味の悪いことを知っていて、そのことを彼は(私も)気に入っています。 最近、AIアートが「魅力的」であるかどうかという疑問がTwitterにあらわれたとき、Klingemannはこう答えました。
私が目指しているのは面白いイメージを作ること。私の作品を知ってるかわからないけど、よくもらう反応は、「悪夢のもと」「気色悪い」「不気味」……。個人的には、退屈、ありふれた、普通、やりがいのない、2次的だとかといわれるよりは、醜いほうがいいね。
このことに賛同します。Twitterのチャットに参加し、Klingemannの考えをききました。その日の朝、友人のアート記者が私に訊ねた質問、この種のアート作品の所有者はだれか(人間かマシンか)について、Klingemannはこう答えました。
ほかのマシンと同じで、マシンのオーナーかオペレーターが所有している。写真家やピアニストに訊いてよ。
彼の返答に驚きはありませんでした。自作でどのような役割を果たしたのかを答えなければならなかった、この記事で取り上げている他の多くのジェネラティブ・アーティストと同じだからです。
AI技術がますますアーティストにとって使いやすくなっていることにわくわくします。クリストバル・ヴァレンズエラ(Cristóbal Valenzuela)はそんなツールを開発しています。まず、「Text 2 Image」ツールでは、単語を入力するとAIが描画しようとします(結果はさまざまです)。たとえば、「宇宙船でバナナを吸う男」とタイプして、エンターキーを押すと、次のイメージができました。
ボタンを押すだけでイメージやエフェクトをつくれる場合、その画像はたいていあっという間に陳腐化します。そのため90年代初頭に氾濫したPhotoshopフィルターを使ったイメージの津波には、似通ったものがあるのは想像に難くありません。一方、ValenzuelaはPhotoshopとは異なるツールを開発し、AIを活用してアーティストやデザイナー向けの新しいツールを民主化しています。うそをつくつもりはありません。私は行列の先頭にいて遊びたいんです。
AI技術がますます身近になるにつれて、他者の開発した古いツールを再利用したり、使い古されたビジュアルを作るのにボタンを押したりすることから、並外れたアーティストを浮かび上がらせるには、芸術性と技術の進歩がさらに重要になります。私はその余地に魅了されていて、Robbie Barrat、Mario Klingemann、トム・ホワイト(Tom White)、ヘレナ・サリン(Helena Sarin)、メモ・アクテン(Memo Atken)、ジーン・コーガン(Gene Kogan)などといったアーティストを、作品の進化とともに間近に見つづけていくでしょう。私はまた、これを書いている時点で、伝統的なアート業界が注目し始めたことにも言及しておきます。
この記事は、あまりにも多くの人々が「デジタル・アートは好きじゃない」と言っているのをきいたことから始まりました。これは「私は絵画が好きじゃない」と言っているようなものです。デジタル・アートは広大な分野で、ジェネラティブ・アートはその一部分にすぎません。もし人々がこのジャンルをよく理解したら、彼らはアーティストの技能とその作品をより深く理解するはずです。
私の目標は、コードや数学について話すことなく、読者にジェネラティブ・アートを愛してもらう、または少なくともジェネラティブ・アートをより理解してもらうことにありました。このジャンルの理解は、作品の背後にあるアルゴリズムやプログラミングを探ることによってのみ深まります。しかし、絵画を鑑賞するのに描画技法を知る必要がないのと同じように、プログラミングを理解しなくてもジェネラティブ・アートを鑑賞できるはずです。
ずいぶん長文になってしまいましたが、この記事でジェネラティブ・アートの全史を書くつもりはありませんでした。多くのすばらしいアーティストや主要な実践者が抜けています。この記事は、私の好きなアーティストをとりあげたジェネラティブ・アートの歴史の一つの軌跡です。もし将来1冊の本を書く機会をもらえたら、完全な歴史を書けるとおもうとわくわくします。
これまで学んできたことをまとめてふり返りましょう。
私は学部で美術史を学び、デジタルメディアで修士号を取得したので、このようなブログ記事を書く資格があると考えています。とはいえこの記事は、多くの点で私個人の物語ではありません。間違いを犯した可能性も大いにあります。参照した作品について何かしら誤りがあるかもしれませんが、作者の行為にたいして大きな敬意をはらい尊敬の念をこめて作品を掲載したことをご了承ください。訂正がありましたら、[email protected]までメールいただければとおもいます。
最後に、この記事のトップ画像がManolo(Manuel Gamboa Naon)の作品だと気づいた人がいるかもしれませんが、本文では彼に触れていません。これはあえてそうしていて、予告編として作品を掲載したのです。Jared Tarbell、Robbie Barrat、Mario Klingemannと並んで、Manoloは私が大好きなジェネラティブ・アーティストの一人です。数ヶ月前に、近々発表される作品について彼にインタビューする幸運な機会を得ました。彼の作品については短い文章では到底書きつくせません。これからインタビューを公開することを楽しみにしています!
Manoloのインタビュー記事(英語)はこちらです。
Generative Art Finds Its Prodigy — Artnome
2018年9月1日、佐賀大学でSMAARTアートマネジメントセミナーを開催しました。今回は、わたしが企画を担当した講座です。
博報堂「生活圏2050」プロジェクトリーダー、鷲尾和彦さんをお招きし、「未来を育む都市:オーストリアの中規模都市の事例を通して」と題してレクチャーをしていただきました。
今回のテーマは、「アルスエレクトロニカ」です。アルスエレクトロニカは、世界中のメディアアート関係者が知る、その世界では有名な芸術祭です。先端的なアートや表現が集結するというイメージですが、今回のお話は文化政策や都市計画の側面が中心です。お話は多岐にわたりましたが、心に残ったポイントをこの記事でまとめます。
この芸術祭が開催されているのはオーストリアのリンツ市。人口約20万人の都市です。オーストリアは人気の観光地ですが、日本語の観光ガイドにリンツ市の情報はほとんど載っていません。もともと鉄鋼業が盛んな工業都市として発展してきたまちで、ウィーンやザルツブルクのような国際的知名度はありませんでした。ところが現在のリンツは、文化産業の都市へと政策転換しています。そのきっかけになったのが、1970年代に市民が主体的にはじめたテクノロジー・アートのお祭りだったそうです。
オーストリアはハプスブルク帝国でしたが、今では小国にとどまっています。リンツはヒトラーの故郷で、彼が都市改造を計画した町でもあります。第二次世界大戦中、近郊にはナチスのマウトハウゼン強制収容所があり、多くの収容者が過酷な労働を課されてしました。戦後は、鉄鋼業の大規模工場によって、ひどい公害問題に悩まされます。近年では、ヨーロッパの「玄関口」として多数の難民が入り込んできています。鷲尾さんによれば、個人の力ではどうにもならない、いわば「大きな力」に左右された「小さな」町であることが、この町の特徴なのです。そのなかで立ち上がった市民主体の芸術祭には、工業都市にいる技術者たちの矜持、反体制的な音楽が生まれる風土も関係しているといいます。芸術祭が、著名なアーティストや有名企業を起用するような「権威」や「抑圧的なパワー」の場に偏らないように、草の根的なプロジェクトも同時に展開し、参加者に「どちらの未来がよいとおもう?」と問いかけるような仕掛けをほどこすといったバランス感覚にも感心させられました。
アルスエレクトロニカでは、国際コンペティション「Prix」(プリ)など、いろいろな取り組みがあります。なかでも印象的なのが、アルスエレクトロニカ社という公社を設立し、事業もてがけていること。アルスエレクトロニカを地方再生の成功事例としてきくと、「日本(の行政の仕組み)ではできない」と感じてしまいます。表面的に「まねしよう」とすると確かにそうかもしれません。鷲尾さんは、安易に真似ようとする風潮に釘を刺し、地中の根を含めた樹の断面図をみせました。「外からおいしそうにみえる果実だけを採って移植しても、ちがう土地でうまく育つわけがない。その土地の土壌(歴史文化)にふさわしいものを根っこから育てていく必要がある」と。
「次の世代のために自分の町をどうしたいですか?」──最後の質問には、小さくても始められることがあるんじゃないですか、という呼びかけに聞こえました。
鷲尾さんは今年もアルスエレクトロニカ・フェスティバルに行かれるとのこと。渡航直前のお忙しいなか、佐賀で貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。
2018年9月16日、福岡県Ruby・コンテンツ産業振興センターでデータビジュアライゼーションに関するトークイベントを開催します。
杉本達應研究室と「ももち浜TECHカフェ」の共催です。
参加申し込みはこちらから。
https://tech-cafe.connpass.com/event/98246/
近年、多様なデータを起点にチャートなどの視覚的表現を生成する「データビジュアライゼーション」が注目されています。この領域をテーマにした「DxD研究会」が福岡で初のトークイベントを開催します。データビジュアライゼーションの教育、実践について話題提供し、この分野に興味をもつみなさんと意見交換します。
福岡県Ruby・コンテンツ産業振興センター 5階プレゼンルーム
福岡市博多区博多駅東1丁目17-1(福岡県福岡東総合庁舎5階)
※博多駅筑紫口から徒歩5分
参加無料
イベントページでお申込みください。受付の際に名刺を頂戴します。
データビジュアライゼーションの制作方法を学ぶ
杉本達應(佐賀大学芸術地域デザイン学部 准教授)
大量のデータが行き交う現在、デザインで学ぶべきものが大きく変化しました。初学者に向けた「可視化のガイドライン」(作成中)を紹介します。
アート+サイエンス、ビジュアライゼーションの現在―産学官連携と実践
山辺真幸(多摩美術大学情報デザイン学科 非常勤講師/慶應塾大学大学院 政策・メディア研究科 後期博士課程)
アートとサイエンスにまたがる2つの「データビジュアライズ」の現在について、大学・企業での取り組みや実践を交えて紹介します。
見えないものを見ようとして望遠鏡を覗き込んだ
矢崎裕一(Data Visualization Japan ファウンダー/Code For Tokyo 共同代表/多摩美術大学情報デザイン学科 非常勤講師)
人類が何を可視化してきたのか、過去の一部を駆け足で振り返りながら、今後の発展可能性について話題提供します。
主催 佐賀大学 芸術地域デザイン学部 杉本達應研究室
lab.sugimototatsuo.com
共催 システム開発技術カレッジ
(公益財団法人 福岡県産業・科学技術振興財団)
本研究会はJSPS科研費JP16K00462の助成を受けたものです。
佐賀エリアの文化芸術情報を発信するポータルサイトづくりのプロジェクトがスタートしました。これは、佐賀大学芸術地域デザイン学部主催の、SMAART(佐賀モバイル・アカデミー・オブ・アート)の取り組みのひとつです。
今年度のSMAARTのプログラムでは初回のイベントになります。ポータルサイトづくりの企画じたいは、2017年9月に実施した講座とワークショップにスタートしています。公式プログラムは1日だけでしたが、じつはその後も2017年10月、2018年3月、4月、5月と、有志の方とミーティングを続けていました。本年度のミーティングには、残念ながら参加できない有志メンバーもいらっしゃいますが、これまでの意見もいかしながら進めていきます。
2018年6月29日、ポータルサイト・ミーティングと講座を開催しました。会場は、肥前さが幕末維新博覧会のパビリオンのひとつ、オランダハウス(旧佐賀銀行呉服町支店)です。この日は、九州・山口のアート情報サイト、アルトネ編集の笠井優さんに話題提供いただきました。アルトネは、アート関係に興味のある女性が多く利用しているとのこと。コンテンツの量や更新頻度など、サイト運営の細かな配慮をうかがうことができました。その後、メンバー全員でふだん使っている情報サイトについて意見交換しました。
ポータルサイトは、今年度は試行版、来年度に本格開設を目指します。事前募集であつまった15名の編集部メンバーとともに、どんなサイトを作りあげることができるか、楽しみです。
SMAARTサイトのレポート:
第1回 ポータルサイトミーティング 「アート情報サイトの編集」 – SMAART Saga Mobile Academy of Art
2018年6月、ロサンゼルスに行きました。LAといえばテーマパークだけでなく、スペースシャトルや往年の自動車が見られるミュージアムなど多くの見どころがありますが、印刷が好きな人ならぜひ行ってみてほしいスポットがあります。
それが、「International Printing Museum」。現地滞在中のHさんと行ってきました。この博物館は、ロサンゼルスの中心部から20kmほど南にカーソンという街にあります。およそ20メートル四方の平屋のガレージで、博物館というよりも私設ギャラリーという風情です。個人の印刷機械コレクションを中心に、1988年に設立されたそうです。
International Printing Museum(国際印刷博物館)
315 W. Torrance Blvd. Carson, CA 90745
土曜日の10時から16時のみ開館。火曜から金曜は事前予約制。
入場料は大人10ドル。ツアー込みで、この日はピーターさんによる熱弁あふれるガイドがはじまりました。印刷の歴史を展示された印刷機械とともに巡っていきます。
まずは印刷の起源である、中国の木版印刷の紹介から。版木のレプリカを手渡しながら、「これが当時のスマホ、タブレットだ」と茶目っ気たっぷりの解説。金属活字は、鉛とアンチモンと錫の合金だと紹介され、その場で溶かした合金を型(活字母型・字母)に流し込んでくれるではありませんか。ちなみに印刷所では、アルファベットの大文字の活字ケースを上段、小文字のそれを下段に置いていたから、大文字をuppercase、小文字をlowercaseと呼ぶんですね。
15世紀に考案されたヨハネス・グーテンベルクによる印刷機の復刻版があり、「42行聖書」の版のプレスが実演されました。その後、おもに19世紀から20世紀にかけて改良されていく何種類もの印刷機が展示されています。印刷機の歴史を振り返ると、インクやプレス、紙送りなどの各工程を自動化し、より高速に印刷しようとする工夫がつまっていることがわかります。驚くのは、どの機械もちゃんと動くこと。しっかりメンテナンスされているのが伝わってきます。
ガイドの最後に、行単位の活字を鋳造するライノタイプのデモンストレーションもやっていただきました。ライノタイプはいろいろな博物館の展示で目にしてきましたが、実際に稼働している様子を見たははじめて。タイプすると、ほとんど待つことなく活字が出てきます。できたての活字はほかほかでした。
毎年秋には、「ロサンゼルス・プリンターズ・フェア」(Los Angeles Printers Fair)というイベントが開催されているようです。全米から、多くのブックアートやファインペーパー、活版印刷機械などの展示が集まるようです。
ところでこの日のツアーは、私たちのほかにもう一組のお客さんと一緒でした。お父さんと小学生の男の子の親子です。ガイドさんが新聞とってますかと訊くと、お父さんは「うちではNew York Timesを読んでいる。うちでTimesといったら、LA TimesじゃなくてNew York Timesのことだよ」と答えていたので、ただ者ではなさそうです。
さて、ライノタイプ鋳造体験のとき、お父さんはタイプする文字を「PES Film」と指定していました(わたしにも見えるように示されていたので、のぞき見ではありません。なので、ブログに書いてもよいと判断しました)。ご自身の名前ではなく、会社名のようです。Filmとあるので映像プロダクションかな、さすがハリウッドのお膝元だなあ。でも、どこかで聞いたことがある気がします。ミュージアムをあとにして検索してみたところ、PES Filmとは、あの独特のストップモーションアニメーションで有名なスタジオでした。彼は、アニメーション作家だったのです。この日いちばんの驚きでした。
広島県のアートギャラリーミヤウチで、 クロスジャンルの展覧会「Floating Urban Slime / Sublime」がはじまりました。
わたしは、ディレクターの稲川豊さんと共同で、オンラインのカウントダウン・プロジェクト「FUSS Countdown」に参加しました。コントリビューターが提供したテキスト、イメージを組み合わせ、会期前の81日間かけて、毎日1つのコラージュ・イメージを投稿しました。日々のイメージは、単体では意味不明。謎めいた展覧会を予告する謎めいたカウントダウンとして制作しています。英語と日本語のテキストの断片があらわれていますが、おそらく多くの人が母語に近いことばだけを読むでしょう。もう一方のことばは対訳なのか、あるいは呼応しあっているのか──。展覧会場では、すべてを通して見れますので、あらたな見方ができるはずです。
このカウントダウンのプロセスでは、ことなる種類のテキストを断片化しました。そこではテキスト特有の力をまざまざと感じさせられました。どのような表現方法をとったオリジナルテキストであれ、断片化されてもなお、消すことのできない書き手の痕跡が浮かび上がってきたからです。テキストを切り刻み、つなぎあわせる「カットアップ」という創作手法を世にひろめた、ビート・ジェネレーションの作家ウィリアム・バロウズのことば通りだと再確認します。
「時」のなかにきみをとどめる言葉の糸を切断せよ……鋏、ナイフを用いて、いくつかにちょんぎれ……「空間」にその糸を展べよ。きみ自身が書いた一頁、手紙であろうと、またきみ以外のどんなやつの書いたものでもいい、死んでいようと生きていようとかまわぬ。一頁、それより少くても多くてもいい、そいつを小間切れにしてしまえ。真中を切断せよ。両端を十字に切り裂け……切断した部分を配列し直せ……出来上ったメッセージを記せ……
どんなに切り刻んで配列し直しても、もとの言葉を書いた人間はそこに存在する……どんなにずたずたにしてもランボオはランボオだし、メルヴィルはメルヴィルである……シェークスピアはシェークスピアの言葉で動く……といった次第で、ランボオの言葉を切り刻み、ランボオの言葉を喋べり、ランボオのように考える人は、誰でもランボオになれるのである……加えて適当に肉をつけることですな。あらゆる死んだ詩人や作家たちは、かくしてそれぞれの宿主のなかに甦る。
(「ウイリアム・バロウズの『殲滅者』」・『鮎川信夫全集IV』思潮社、2001所収)
展示会場は、まるでインストールの最中のようで、渾沌としていました。あたり一面に大小さまざまな角材や板材や布。それらが、床や壁に置かれていたり、宙に浮かんでいたりして、作品の鑑賞をさえぎっているかのようです。いやひょっとすると、これら全部が展示物なのかもしれません。でもそうだとしても、それぞれの物体が作品なのか、什器なのか、仮組みの構造物なのか、判然としません。作品一覧のペーパーは用意されていますが、どうやら複数の作品が絡んで置かれているようで、だれの作品なのか、はっきり見極めることすら困難です。キャプションや解説パネルのようなものは、当然のようにどこにもありません。この展示会場に野心あふれるアーティストが訪れたら、こっそりと自分の作品を紛れ込ませたり、なんらかの痕跡をのこす衝動にかられるかもしれません。
とはいえこの奇妙な会場は、ただ乱雑をきわめているとは言い切れない不思議な一体感を醸し出しています。素材の質感や細部に集中していても、同時に全体の配置や関連も気になります。カメラで撮影するなら、いくつもの種類のレンズを必要とする感じ。面倒なようで意外とたのしくなってきます。歩き回っているうちに、会場は一定のトーンを帯びはじめ、展覧会の性格を強く主張しているようにみえるのです。その主張は、確実な真実を求めてもたどりつきにくい、フェイクニュースあふれるインターネット社会を反映しているのかもしれません。確かなことはわかりませんので、そのあたりは鑑賞者の解釈にゆだねられているのではないでしょうか。
さて、オープニングは体調不良で残念ながら参加できなかったのですが、初日のクリエイターズ・トークに行ってきました。アートギャラリーミヤウチの今井みはるさんに久しぶりに再会しました。
このクリエイターズ・トークに驚かされました。参加作家が自分のことばを語るのかとおもいきや、さにあらず。このイベント自体が実験的パフォーマンスだったのです。
オーディエンスは、会場内の椅子にそれぞれ別々の方向を向いて座っています。Macが読み上げる自動音声のテキスト、参加作家による指示されたテキストの朗読、ハミングの多重奏などが、いくつかのスピーカーから何重にも遅延して耳に届きます。音声の発信地である、ガラス張りのオフィススペースはラジオの公開収録スタジオのようで、オーディエンスによる集団聴取のような不思議な空間ができていました。
今回ふだんの活動とはことなる人たちの創作にふれることができ、おおいな刺激をうけました。
Floating Urban Slime / Sublime
http://miyauchiaf.or.jp/agm/exhibition_fuss.html
会場:アートギャラリーミヤウチ(広島県廿日市市宮内字高通4347番地2)
会期:2017年11月18日|土|- 2018年1月8日 |月・祝|
開館時間:11:00 – 18:00(最終入館は17:30)
会場:2F展示室
休館日:火・水曜日、12月30日−1月3日
観覧料:一般300円 [200円] 学生200円
*[ ]内は10名以上の団体料金、高校生以下または18歳未満・各種障害者手帳をお持ちの方は無料参加クリエーター(居住国):
稲川豊(日本)|イワフチメグミ(日本)|We+(日本)|ウォン・ピン / 黃炳(香港)|小野環(日本)|勝目祥二(STUDIO NIJI)(日本)|シュシ・スライマン(マレーシア)|ジー・ヤン・ボー / 巫思远(シンガポール)|ジェームス・ブルックス(イギリス)|杉本達應(日本)|ニコラ・モリソン(イギリス)|ヒロコ ナカジマ(香港)|ピーター・ヨウ(アメリカ)|フア・クアン・チェン・サイ / 陈赛华灌(シンガポール)|マーティン・トーマス(イギリス)|松延総司(日本)|三上清仁(日本)|ルーパート・ロイデル(イギリス)|Lens(日本)|山田亮太(日本)共催:公益財団法人みやうち芸術文化振興財団
助成:NATIONAL ARTS COUNCIL SINGAPORE
協力:Edouard Malingue Gallery、小山登美夫ギャラリー、HAGIWARA PROJECTS企画発案/ディレクター:稲川豊|企画協力:兼本ひとみ(STUDIO NIJI)
デザイン・ディレクション:STUDIO NIJI
FUSS カウントダウン:杉本達應&稲川豊
メディア・パートナー:Glass Magazine
2017年10月12日から14日まで、日本科学未来館で開催された「G空間EXPO 2017」Geoアクティビティコンテストに出展しました。
今週は土曜日まで日本科学未来舘にいます。開発中のWebアプリ「DataMapp」を「G空間EXPO2017」に出展しています。 pic.twitter.com/6Cns0bwr3R
— SUGIMOTO Tatsuo/杉本達應 (@sugi2000) October 12, 2017
出展したのは、開発中のWebアプリ「DataMapp」(現在公開準備中)です。統計データを地図上にビジュアライズするシンプルなWebアプリです。13日のプレゼンテーション審査で評価いただき、「デザイン賞」を受賞しました。ありがたいことに、公開を期待する声など、多くの反響をいただきました。DataMappにご関心のある方は、杉本までご連絡ください。今後の動きをお知らせいたします。
本日の G空間EXPO 2017 Geoアクティビティコンテスト プレゼンテーションの発表資料です。「DataMapp データ駆動型地図表現ツールの開発」 https://t.co/hzQdrtfBVU
— SUGIMOTO Tatsuo/杉本達應 (@sugi2000) October 13, 2017
これまでつながりのないイベントでしたが、人工衛星からドローン、GIS、AR、VRなど、地理空間情報にかんする産官学のさまざまな展示があり、勉強になりました。
#G空間EXPO に初参加。多くの方に声をかけていただき、地理空間情報業界という未知の世界を知ることができました。測量が中心ですが異業種や趣味人が参入したら、もっと間口の広いイベントになりそうです。
— SUGIMOTO Tatsuo/杉本達應 (@sugi2000) October 14, 2017
展示では多くの地理空間情報業界のみなさんに声をかけていただきました。いただいたご意見やご感想は、つぎのように要約できるとおもいます。地図、とりわけ「主題図」と呼ばれる特定主題を詳細に表現した地図が、分析や意思決定に活用される場面が増えていて、データを効果的に表現するデザインの需要が高まっている。そのため、DataMappのようなデザイン主導の取り組みに期待しているということでした。
メインステージが展示場所にちかかったため、講演プログラムもたのしみました。
とても興味深かったです。地震でできた地表のずれは断層とは限らないとか。火山の噴火は火口付近の上下変動で予測できそうとか。レーダー人工衛星すごい。「宇宙技術で誰も見たことがない地震・火山の正体に迫る」(国土地理院・藤原智) #G空間EXPO
— SUGIMOTO Tatsuo/杉本達應 (@sugi2000) October 14, 2017
このコンテストに出展していたプロジェクトは、最優秀賞を受賞したドローンを利用した水田分析(なんと高校生!)など、いずれもとても面白かったです。わたしがとくに興味をひかれたのは、MIERUNE社の地図配信サービス「MIERUNE地図」です。これはOpenStreetMapをベースにした地図で、スタイルデザインが抜群に美しく、すばらしかったです。このような美しい地図が、Web上の地図の標準になってほしいなと感じました。
MIERUNE地図パネル、ほしい。 pic.twitter.com/bdTBFsixUH
— SUGIMOTO Tatsuo/杉本達應 (@sugi2000) October 14, 2017
関連リンク
– G空間EXPO2017|2017年10/12(木)・13(金)・14(土)開催!
– 【地図ウォッチ】 「Geoアクティビティコンテスト」最優秀賞は、愛媛・伊予農業高校の2年生 – INTERNET Watch
2017年9月23日、佐賀大学附属図書館で、SMAART講義・ワークショップ「佐賀県の文化芸術情報を伝える」を開催しました。
9/23 佐賀県の文化芸術情報を伝える – SMAART Saga Mobile Academy of Art
SMAART[Saga Mobile Academy of Art: サガモバイル・アカデミー・オブ・アート]は、佐賀大学芸術地域デザイン学部が主催するアートマネジメント人材育成事業です。杉本は事務局のメンバーとして参加しています。
SMAART Saga Mobile Academy of Art – 芸術を通した地域創生人材育成~肥前窯業圏のやきものと茶文化をめぐるアートカフェとネットワークづくり
この日は、講義とワークショップを企画し実施しました。
前半の講義では、3名の外部講師の方をお招きしご登壇いただきました。
藤生雄一郎さん(佐賀新聞社)からは、文化面を担当されている立場から、効果的なプレスリリースの発信方法について具体的なアドバイスをいただきました。
田原新司郎さん(Tokyo Art Beat)からは、現代アート情報のポータルサイトの運営の裏側をご紹介いただきました。
倉成英俊さん(電通)からは、佐賀県のプロモーションビデオや、有田焼のプロモーション事業など、多くの企画事例とのその背景にある考え方を紹介していただきました。
講師の所属する業界は、地方新聞社、アート情報サイト、広告代理店と三者三様でした。いずれも文化芸術の情報発信にかかわるテーマでしたが、異なる業種のプロフェッショナルによる講義を連続することで、この分野の状況を多角的に把握することができました。
後半のワークショップでは、牛島清豪さん(ローカルメディアラボ)の進行のもと、佐賀県の文化芸術情報を発信するポータルサイトづくりに向けて、アイディアを出し発表しました。牛島さんは、地域情報化やオープンデータの専門家でもありあすので、今後のポータルサイトづくりでもご協力いただきたいと考えています。
この日は受講生同士の交流を深めることもできました。冒頭に受講生全員の自己紹介の時間を設け、途中にFacebook受講生グループのガイダンスを開催。終了後は受講生、講師、事務局メンバーによる懇親会を開きました。
午前中から夜まで長時間のプログラムにおつきあいただいた受講生のみなさん、講師のみなさん、ありがとうございました。